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釜石109

毎度、和泉です。

『釜石に渋谷109内の店舗が出店』
16日のNHK9時のニュースを見て驚いた。

ちょうど、そのころ釜石に親戚のお墓参りに行っていた人がいたので聞いてみた。
彼は、ちょうど16日に東京に帰ろうとしていたが、泊まっていたホテルに、場違いな、東京で見かけるようなマヌカンのような女性がいっぱいいて驚いた、が東京に戻ってきてそれが本物だとしって驚いたそうです。

ニュースは少々過剰反応と思うが。

しかし、手紙を出した中学生も、その手紙を採用した渋谷109の運営会社もよく動いたと思う。(そのあたりの突っ込んだ話はどこにも出ていないが)

やはり、時代は女が動かすものか。

しかし、疑問が一つ。
手紙を出す時、中学生の彼女を手紙を出すように応援したのが、NHKでは母親、フジテレビでは父親となっているが、どっちが本当なのだろうか?

以上です。

# by philo7777 | 2013-08-19 00:08

教育における体罰

和泉です。

最近、教育における体罰が問題になっている。

私の小中高校時代、体罰は当たり前だった。
私も体罰を受けた。

これについて、面白い話を昔聞いた。

昭和30年代、野球が盛んだったが、当時中学高校などで部員になる人間には不良とよばれる人がほとんどだった、とのこと。
そんな人間に対する教育方法も確立されていない。
それを教える先生も教え方がわからなかったので、体罰を是認してしまった、というのだ。

暴力でいうこときかせるために竹刀・バットでたたくは当たり前。殴る、蹴るは日常。
単に体を酷使するためだけの練習内容。
うさぎ跳びや手押し車、タイヤに綱をつないで引っ張る、など。
(現在、こんな練習は無意味なことが広く知られている。)

そこに、人間としての修行だとして精神論を持ち込み「道」にしてしまった。「野球道」だ。
(これは現在でも、サッカー道とかバレー道などといわれるものがある。)
人間修行の名のもとにすべての行為を善としてしまった。

体罰は、教育方法を知らない人間の感情的行為としか思えない。
泣きわめく幼児を叩いて泣きやめさせようとしているのと同じだ。
この行為は、相手に対して理解を求めることはない。

現代なら、最新の教育方法が確立されているはずだ。
感情的にではなく、精神論でごまかさず、
理性的に論理的に教育を行てもらいたい。

以上です。

# by philo7777 | 2013-06-19 23:47

仏教原理主義

和泉です。

先週末、中学校の同級生が急にたづねてきた。
夜の19時過ぎに。
しかし、それは某仏教団体の布教が目的だった。
残念に思う。こんな形で出会うことを。
そして同窓会名簿がこのような形で利用されることを残念に思う。

彼らの話を聞いているとどこはほかの宗教の原理主義者の発言と同じようなことを言っている。

①私たちの考えのみが正しい。
②私たち以外の宗教は皆間違っている。
③地震・津波などは神罰である。
④終末・審判の時、救われるのは我々のみ。それ以外の宗教はみな打ち捨てられる。
⑤自分の考えが正しいと考えそれを他人にも押し付ける。

これは、仏教系にこだわらず、すべての原理主義者・宗教に共通していると思う。

キリスト教原理主義。
イスラム教原理主義。
仏教でも原理主義的考え方が起きているとは驚いた。


イスラム原理主義はタリバンなどの暴力団体とくっついてしまったが、もともとは「イスラムの思想の根源に戻ろう」という運動だったという。
それが、どこを間違ったか暴力的な行動を是とし、狭い考えの教義に傾いてしまった。

これはキリスト教にも言える。
アメリカでいうところの保守派・福音派などがそれに含まれる。
土曜日や休日に聖書の布教を行っている人々も原理主義者だと私は思う。

また、キリスト教と認められていないがキリスト教系の統一協会も原理主義だ。


これらの人々の考え方は、狭く自己中心的。他人の考えは受け入れない。
彼らは他者との協調はありえない。

これは日本の宗教団体でもいえて来ている。
仏教でもそのような方向の活動が起きていることを悲しく思う。

原理主義者になってはいけない。それは自分の思想を硬直化させ他社との闘争を招くだけだ。
私たちは思想において柔軟性を、宗教には寛容をなくしてはいけない。

以上です。

# by philo7777 | 2013-06-11 22:46

英語早期教育の是非

和泉です。

テレビで英語の早期教育について報じていました。
2・3歳の幼児を相手に英語でⅰPS細胞の英語での意味を説明したり、英語で体の臓器について説明していました。
この子供たちの両親は英語が達者なのだろうか?

よく聞くのは、英語教育の為と言って、小学校までのある一定期間(1年位)英語圏の学校に語学留学するのが流行っているとも聞く。
それで本当に英語が身につくのだろうか?

私はこのような教育は中途半端だと思う。
なぜなら、彼らは日本語も日本文化もまともに理解していないし日本語も話せない。
戻ってきて中途半端な英語と日本語しか話せない、そんな例をよく聞く。

シュタイナー教育をご存じだろうか?
人間の心と理性の発達について考えてそれに合わせて教育すべきという考えだ。
私もその考えに賛成だ。それに反する教育には反対だ。
英語早期教育は、シュタイナー教育に反する一例だと思う。
このタイプの英語の早期教育はそれに反した急ぎすぎた教育になると思う。


変な例かもしれないが、子供時代に有名となった歌手や俳優が大人になると奇行に走ることが多い。
たとえば、マイケル・ジャクソン。
彼の場合、少年時代は父親に押し付けられた音楽付教育で大人になってから奇行が目立つようになった。
大人になっても精神的にも不安定になっていたと思う。

英語を教えるにしてもゆっくりしっかり生活に密着した教育をした方がいい。
早期英語教育で教室で英語を教えても日常生活で教えていないのであれば無意味だと思う。
家庭内でも父母がある日は日常会話はすべて英語で話す日、と決めてやるくらいの決断をしてもらいたい。自分のできなかった夢を子供に押し付けるのであれば、子供そのものが変なおもりを背負わされることになり可哀そうだと思う。


私がテレビで見た教育現場でこんなシーンがあった。
人体模型を使って臓器を英語でなんというか教えていた。
胃袋をとって「ストマック」と先生が言えば、生徒は「ストマック」と答える。
レポートしているアナウンサーが「ストマックは日本語でなんていうの」と聞くと
子供はぽかんとしていた。説明できなかった。


心と理性の急速な成長、日本語と外国語の早期速成習得、それは無理だと思う。
英語教室内部だけの教育では身につかない。
それ以前に日本人として正しい日本語と歴史の知識がかけていたら、海外の人に笑われるだけだ。
日本人独自の思い察することもできなければ、非論理的な言葉をがなる傲慢な人間になるだけだろう。

以上です。

# by philo7777 | 2013-05-07 23:36

ダビンチ展の感想

和泉です。

上野でやっている「ダビンチ展」に行ってきました。

展示は、残念です。

ダビンチの手稿がメインのはずが、小さい展示になっていました。

手稿は本来、表と裏、の2面あります。
それが片方だけが展示されていました。両面展示する工夫がほしかった。

それに、ダビンチ展をうたているが、ダビンチ本人の作品・手稿は半分もなし。
その前後の有名人の作品を付加してごまかしているように思えました。
だったらそのような宣伝をすればいいのに。間違えるような宣伝はちょっとな・・・・

ダビンチ。彼以前と以後ではデッサンの内容が変わってきているという。
たしかし、彼以前のデッサンはラインのみだったが、彼以後はラインより陰影が付加されたように思えます。

「ダビンチ ルネサンス芸術への影響」というような名前の方がよかったと思う。

以上です。

# by philo7777 | 2013-05-07 23:06